” たられば ” の話をしようじゃないか!

どうもです。市川です。

今日のヒトコト:

 「 ” たられば ” の話をしようじゃないか! 」

一般的に、たらればの話は、善くない印象があります。

あの時、こうやっていれば・・・
環境がこうだったらば・・・

出てしまった結論に対して、
ちょっとした言い訳をするような印象ですよね?

ビジネスに ” たられば ” はない!

なんて厳しい表現だってあるのも事実です。

そんな表現や たられば の印象等も全部 ガシッ と、
一旦受け止めて、あえて言います。

「 よし!” たられば ” の話をしようじゃないか! 」

これは、今日クライアントさんとのミーティングで飛び出した
私の台詞です。

そのクライアントさんは、
とある戦略での失敗を経験してしまいました。

戦略を遂行している際、少しだけ見誤りがあり、
思っていたような結果が出なかった訳です。

そこで私はこの台詞を、あえて明るく言いました。
そして、以下の内容を続けました。

作業の何が間違っていたのか?

⇒ ここをこうしてれば、
  こういう結果にはなりませんでしたよね?

焦点のズレはどこだったのか?

⇒ みるべき部分はそこではなく、ここでしたよね?

状況をふまえて、的確な選択肢をチョイス出来たか?

⇒ 考えている事自体は間違っていた訳ではないんです。
  ただ、状況と環境が良くなかったですね。

  この考え方で物事を遂行するのならば、今ではないです。
  もう少し、こういう環境にもってイケてからですよね?

こんな内容のお話をしたのです。

” たられば ” の話ですよね?

” たられば ” の話ですが、

 何が原因でこういう結果になったのか?
 原因の追究と反省の材料、そして改善点を、
 並べる事が出来た訳です。

私自身、
” たられば ” の話を全面的に認める訳ではありません。

 しょうがない。 という諦めの言葉を肯定する
 ” たられば ” の話は認めません。

ですが、
ポジティブな ” たられば ” はアリだと思うのです。

その ” たられば ” によって、
明確な改善点が見出せるのであれば、

その ” たられば ” によって、
再チャレンジする材料が発見出来るのであれば、

時に堂々と ” たられば ” の話をする事も善いと思うのです。

ただし、” 堂々と ” とやる事が大切だと考えます。

自信なさ気にやると、
ネガティブな ” たられば ”になる事が容易に想像できるので、
ご注意ください。

素直 」に認め、「 健全 」に開き直り、「 明るく 」 反省し、
真剣 」に改善点を見出し、「 一生懸命 」 チャレンジする。

この繰り返しで、絶対に成功に近づくはず。
そう信じてる。