市川哲也 プロフィール

市川哲也 1978年11月17日 生まれ

11月17日生まれの有名人
本田宗一郎
※本田技研工業(ホンダ) 創業者

亀田興毅
※元プロボクサー

内田裕也
※シェキナベイベー

ニコラ・アペール
※・・・誰ですか?


↑これが私『 市川哲也 』

  • ビジネスプロデューサー
  • 起業プロデューサー
  • ビジネス立ち上げの専門家
  • コピーライター
  • コラムニスト

フルコミッションの営業マンとして
勤めた会社から、24歳の時に独立。

その1年後、みごとなまでに事業失敗。
数千万円(億に近いレベル)の負債を背負う。

 

ネットを活用した事業にチャレンジを決意。

オークション、物販、コンテンツ製作、
コンテンツ販売。等々、
個人レベルで出来る事は何でもやる。

結果、個人として月収1000万円を達成
約3年で負債の90%以上を返済する事に成功。

2004年
コンサルティング事業に乗り出す。

2006年
WEBラーニングスクールの立ち上げを行う。

2007年
会員数が1000名を超え、アジア最大級の
ビジネスラーニングスクールに成長させる。

2010年
運営会社を「譲渡」し、人生の夏休みに入る。

2011年
東日本大震災の影響もあり、
世の中の為に出来る事、
自分が人の役に立てる事は何か?を模索。

結果、年末に再度、個人レベルで活動再会

 

起業当時の私は、利益重視でガンガン行く、
イケイケの起業家でした。

1度大きな失敗を経験した以降は、
事業が上手く行っていた事も事実ですし、
クライアントさん達の成果も出ていましたし、
喜びの声もたくさん頂いていました。

ビジネス雑誌や新聞、メディアからの
取材依頼や出版依頼も多数頂きました。

 

ですが、そんな声が大きくなればなるほど、
私自身、悩み始めてしまったのです。

 

確かに、当時としては間違った方向では
なかったと思います。

しかし、その成果に反比例するが如く、
私の中で違和感と疑問が
日に日に大きくなっていきました。

その違和感と疑問の正体は、
「お金さえ稼げていれば成功者なのか?」
自分に嘘をついてまで、
お金に煽られる人生を送るべきなのか?

日々、大きくなるこの疑問を抱えたまま、
お客さんやスタッフさん、関係各所の皆さんと
仕事を遂行していく事が、
正直、自分の中で苦しくなってしまったのです。

 

その結果、当時のスタッフさんに全てを譲り、
もう一度、ゼロから自分と向き合う為の期間を
設ける事になった次第です。

当時のスタッフさんやお客さん、
メンターさんや取引先の皆さんには、
多大なるご迷惑をお掛けしてしまった事、
今でも自覚しております。

 

約2年の休暇を頂きながら、
色々な事を考えました。
色々な人達に出逢いました。

過去の教えや、経験してきた事、
出逢った人達からの助言もふまえ、
再度、自分でも組み立てた結果、

お金が大事なのは大前提とした上で・・・

  • 人に喜んでもらえるビジネスを意識し、
    それを実感しないと幸せは感じられない。
  • 誰かと比較してビジネスを行うのではなく、
    自分とお客さんの本音に寄り添い、
    ビジネス展開を行う方が幸せ。
  • 上手く行くビジネスとは、
    関わった全ての人が
    応援したくなるような
    ビジネスでなくてはならない。

この3つが揃って初めて、
幸せなビジネスライフが送れる。
という結論に至りました。

これが、現在の私の揺るぎない想いです。

結果、しがらみや軋轢(あつれき)を極力避け、
煽る事や派手なプロモーションをする事なく、
フリーの起業プロデューサーとして、
現在まで活動を続ける事が出来ています。

 

現在のクライアントさんは、
起業準備中の個人の方から、
個人事業主として活動する方、
会社経営者まで多岐に渡る。

この15年間で、サポートをした人数は
軽く3000名を超え、
現在活躍中の起業家の中にも、
初期に市川に関わった人は多数存在している。

 

将来的に会社からの独立を目指している
個人の方には「収益構築」をメインに据え、
まずは出来る事の数を増やしながら、
出来る事の質を上げる。

現在、起業したての個人事業主の方には、
現状の問題点を解決をしながら、
現在(いま)のビジネスの最大収益が
どんなカタチか?を見据え、
プランニング&サポートを行う。

現在、会社経営者の方には、
新規ビジネスモデル構築や、
既存ビジネスにおけるライバルとの差別化。
さらには、スタッフ教育に関する分野まで
幅広くプロデュースを行う。

 

一番の得意分野は、
クライアントさんの「パーソナル」に合わせた、
ビジネスプランニング&プロデュースを行う事。

人それぞれ知識やスキル、置かれた環境や
目指すべきカタチは異なるはず。

クライアントさんの「成りたい」に寄り添い、
一緒に最善策を考え、構築していく事。

ロボット(機械)を相手にしている訳ではなく、
血の通った人とのお付き合いだからこそ、
出来る限り1人1人に向き合い、
その人にとっての最良のカタチを提案
プランニング・プロデュースする事。

 

座右の銘:
為せば成る為さねば成らぬ何事も
成らぬは人の為さぬなりけり
         ~ 上杉鷹山 ~

どんなことでも強い意志を持ってやれば
必ず成就するということで、
やる気の大切さを説いたことば。
江戸時代後期、米沢藩主の上杉鷹山が
家臣に教訓として詠み与えたという話は有名。

出典:故事ことわざ辞典より

 

余談ではありますが、私自身、
自らを「コンサルタント」と名乗る事を
意図的に避けています。

その理由は、現在ネットやSNSの流行により、
誰にでも名乗れる肩書きになってしまった事、
また、その多くが自らを「先生」と称して
活動をしている事が、個人的にどうしても
違和感を感じる部分でもある事からです。

私達、コンサルティング業を
生業にしている者は、先生ではなく、
「先輩」であるべき。
※あくまで、私の個人的な見解です。

嬉しい事に、初期の段階で私の事を
「先生」と呼んで頂ける方もいましたが、
その1回目の際に、“強めに”
『やめてください!』と言います。

私はそんなに偉い身分ではありませんから。

先生と生徒とのような上下の関係性を
築くのではなく、パートナーシップという
並列のラインであなたとお付き合いがしたい。
これが私の本心です。

なので、私の事を呼んで頂ける際は、
親しみを込めて、
「市川さん」と呼んで頂ければ何よりです。

どうぞ宜しくお願い致します。m(__)m


■補足
趣味:
その時に興味を持ったモノにはとことんハマる。

特技:
楽器全般。4歳から23歳までヤマハ音楽教室に通ってました。(^_^;)。

スポーツ:
野球(でも、高校の頃はサッカー部)
現在でも草野球やってます。


 

音楽系の専門学校を卒業後、バンド活動という名目で1年間はフリーター。
焼肉屋さんで金髪のウェイターとして勤務。
でも、ほぼ毎日のように遊んでいた記憶しかない。

21歳
なんとなく、なんとなくの気持ちで就職。
印刷工場のオペレーターとして勤務。

22歳:人生の転機
偶然知り合えた会社経営者の方に、
「てっちゃんは何で機械相手の仕事してるの?
君は人前に出て話す方が全然向いているよ!
“才能の無駄遣い”はしない方が良いよ。」

お酒の席の話であったが、この一言で、
当時の仕事と自分のやりたい事の違和感を自覚する。

転職→営業マンへ

面接の際「フルコミッションで働けますか?」
その言葉に何の躊躇もせず「問題ありません!」と答え、
フルコミッション(完全歩合)の営業マンに転職。
営業の経験があった訳でもないので、恐怖心はありました。
でも、それ以上に、結果を給料で還元してくれる環境にワクワクした。

結果、1年後 全国1位獲得。

簡単に結果を出した訳ではないですよ。
寝ずに勉強しましたよ。
当時の先輩達には、深夜までトークの練習に付き合ってもらったり、
営業のイロハをビシバシ叩きこんでもらいました。

独立・起業

大負債を抱えたり、もうダメだと思った事は、幾度となくあった。
それでも、全国で40位以内には入れるであろう、
諦めの悪さで、その都度、不死鳥の如く復活。

27歳:法人設立
社長という肩書きがつく。

複数社の会社役員を歴任しながら、毎日の仕事に打ち込む。

辛い事もたくさんあったし、楽しい事もやりがいを感じる事も多かった。
良い経験も悪い経験も、本当に色々な経験をしました。

その経験の1つ1つが現在の私の糧になっている事は言うまでもありません。

31歳:会社譲渡

約2年間の休暇

33歳:完全仕事復帰。

現在:
常時20~30名のクライアントさんを抱え、
そこそこ小忙しくお仕事をさせて頂いております。

主役はクライアントさんです。
なので影に徹する方が最近は多いです。

 

そして、未来へ。